【旅、追憶の果て】 

     B R6・5・9 更新
    
       (貧乏旅行だったので、現地でモノクロフィルムを買って撮影)

 写真はアフガニスタンのバーミヤンにある遺跡、シャーリ ゴルゴラである(発音の違いがあるかもしれません)。
 若い頃、僕はこの地に半月ほど滞在した。ポプラの木々が青い秋空に映え、美しいオアシスのこの町は、あちこちに仏教遺跡があり、近郊には半砂漠の地形が続く中、幻のように忽然と姿を現すバンディアミール湖があった。旅人は悠久のロマンを感じながら散策を楽しんでいた。 ロシアがこの国に攻めてくる一年程前の頃である。
 人々は平和に暮らし、外国からの観光客も多く見かけ、まさに旅するには良き時代であった。その地理的なたたずまいは、かつてシルクロードの宿場町として大いに栄えたことを納得させられる風情があった。
 さて、写真のシャーリ ゴルゴラだが、古い要塞跡で、チンギスハーン率いるモンゴル軍が攻めてきた時、戦の果てに憎しみが憎しみを呼び、この場所にいた人々の命や、又、命ある全てのものが殺戮され破壊されたという伝承が残っている。
 一歩一歩、この朽ちて入り組んだ廃墟の山を上っていくと、仏教文化が花開いたこの地で、このような残虐な歴史が埋め込まれていたとは、驚きであった。正直、この地を訪れるまでは実感がなかった、というのが気持である。
 現在、世界に目を向けると、ロシアとウクライナが戦い、イスラエルとパレスチナは二千年以上も憎しみ合いを続け、我が母国の日本だって、数十年前まではいくつかの国々と同じような歴史を繰り返してきた。
 人類はホモサピエンスとしてこの地球に誕生してから、いや、その前の、地球に生命が誕生してから、それぞれの生命体が進化の中で、生き物としてのDNAと運命を背負わされ、その進化の果てに現在があるということを考えると、生き物としての天文学的な争いは、残念ながら僕の頭では回答を導き出せない難しい問題である。小学生の頃の難しい宿題を解いている自分の姿を思い出してしまった。


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